明日は明日の風が吹く

このブログすら黒歴史

【スポンサーリンク】

顔も声も知らない父よ、元気でやってますか?ボクは人生を謳歌しています。

今週のお題「おとうさん」

 

ボクにはお父さんの記憶がありません。というか現在進行系で名前も知らない。聞いたけど忘れました。というのも我が家は母子家庭で物心つく前に両親が離婚して、ボクは祖父に預けられました。今時珍しくないですね。聞いた話によるとどうやらいいパパでボクも可愛がられていたようです。

 

父という概念は知ってたけど父がいないのが普通だと思っていたので、それが自分の人生に存在しないことで何か不利益があると感じたことはありませんでした。

 

ある程度大きくなってから生き別れたとかなら思うところもあるんだろうけど、覚えてないからどうしようもないんです。「お父さんがいたらなぁ」とか言えません。知りもしないことについてあーだこーだ言えるほど、想像力豊かではないのですよ。妄想力はあるけどね。

 

母からもよく「お父さんがいなくてごめんね」的なことを言われていましたが、「そんな人知らんからどうでもいい」というのが本音。そんなことより、ちゃんと育ててくれたことに感謝感激雨アラレ。

 

ボクの人生にとってシュウマイの上のグリーンピースぐらいの存在感しかないお父さん。最近はシュウマイにグリーンピースないことが多いですよね。いやグリーンピース好きだけども。 

 

子どもの頃というか今でもですが、そんなに親しくない人と話した時に家族の話になって「お父さんいなくて知らないんすよねー」ってなると相手はちょっと申し訳なさそうな顔をする。でも、ボク的にはそんな顔をしてほしくないんですよ。

 

ボクにとっては当たり前のことを「大変だったね」って言われても「そんなことないっすよー」としか言えない。「あ、そうなんだ」ぐらいの感じで流してほしい。ちょっと微妙な空気になっちゃうこの時間の方が厳しいのだ。

 

なので全員がとは言わないけど、母子家庭や父子家庭の人とそういう話になったら「そうなんだ」ぐらいで済ますといいと思います。デリケートな問題だろうし、「あらやだごめんなさいね」とか言われる方が気まずいと思う。

 

という感じでボクの人生とは縁遠い存在である「お父さん」という存在。「よく分からん人だから知らん」っていうスタンスでここまで書いてきましたが、そういえば一度だけ彼の存在を利用したことがありました。

 

ボクは保育科の大学に通わせてもらったのですが、その試験の面接時に「ボクは母子家庭だからこそ、愛情を持った指導のできる保育士になりたいと思っています!キリッ」的なことを口走った気がします。

 

子どもは好きですし愛情を持って接するけど、そこに父親がいないからという動機づけなんて別にありませんでした。お父さんをダシに使っちゃった。でもお陰で大学は入れました。ありがとう、お父さん。顔知らんけど。

 

あなたの息子は元気にやっていますよ。少なくとも今を楽しんで能天気に生きています。だからそちらも自分の人生を綺麗な景気を見るなり、美味しいものを食べるなりして楽しく過ごしてください。

 

美味しいものと言えば小栗旬がCMをやってた味の素のザ★シュウマイ、美味しいよ。
お父さん、今晩の夕食にでも食べてみて。このシュウマイはグリーンピース乗ってないけどね。

【スポンサーリンク】